「ハワイ金刀比羅神社・ハワイ大宰府天満宮」の歴史
地元で”こんぴらさん”の愛称で親しまれている「ハワイ金刀比羅神社」は、1920年に香川県琴平町から御分霊を勧請し始まりました。1924年にはアメリカで最初の琴平宮として政府より認められ宗教活動を開始。金刀比羅神社は、漁業と商業の守護神として知られていたことで、地元の日系人たちの心のよりどころとなり多くの人がここを訪れました。
1930年には、山口県岩国市今津村の「白崎八幡宮」から御分霊を勧請し、同年 広島県大竹市の氏神である「大滝神社」の御分霊も勧請し祭られています。
しかし1941年12月7日の真珠湾攻撃により、神社は連邦政府によりすべてを押収され、神職の身柄拘束など甚大な被害を受けましたが、後に政府を相手に起こした起訴は勝訴し、1950年 再びすべての活動を続けることができるようになりました。
1952年 福岡県西府市の太宰府天満宮より御分霊をハワイに勧請し、分社「ハワイ太宰府天満宮」が同じ地に設立されました。 そして1960年代には戦後に復活できなかった、京都府の「稲荷神社」の御分霊、次いで福岡県久留米市の「水天宮」の御分霊、「海津見神社」の御分霊もここに奉納されています。 また、1984年「ハワイ金刀比羅神社」と「ハワイ石鎚神社」は姉妹社となるなど、日本の宗教である神道の信仰に基づく複数の神社が、ここに祭られています。
日本の行事、初詣、結婚式、七五三、御祈願なども行われ、「ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮」は、日本の金刀比羅神社と太宰府天満宮、そしてハワイの会員の多くの人たちの支援により、人々の心の拠り所として根付いています。
お守りと御朱印
お守り
災難を防ぎ守護するとされるお守り。こちらの神社では、ハワイらしいデザインが模された、様々なお利益をいただけるお守りが数多く並んでいます。
厄除け、健康、学業、子供お守り、ペットお守り、開運、交通安全、災難除け、身守り、良縁、安産、波乗り、ゴルフ、スポーツ、航空安全など、その種類は数十種類あります。アロハシャツのデザイナーで知られる”シグゼーン”がデザインしたお守りは、神様に捧げる木の枝「お榊」をデザインしたものです。
御朱印
こちらの神社では、ハワイらしさをテーマにした絵が描かれている御朱印が、一枚つづりで数十種類用意されています。”シグゼーン”デザインの「お榊」が記された御朱印や、季節限定のデザインもあります。